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大場代表
ISC留学net代表兼LHE取締役会長
大場 規之OBA, Noriyuki
毎月10日更新

日本人 外国人

 

毎日トランプ新大統領の話題ばかりです。
テレビでもラジオでも、新聞でも、会合でも、飲み会でも・・・
73億人と言われる人口のどれほどの人が“トランプ”と口にしているのでしょうか?・・・10億人くらい・・・?(笑)
それにしても、アメリカの大統領の権力や影響力。そして、トランプ氏の発信力の大きさはすごいと思わざるを得ません。

そのトランプ氏の移民や難民に関する話題から、自然とグローバル社会への思いも深まってゆきます。
その中で一つ、今日は“日本人と外国人”について触れてみたいと思います。

日本では、この日本人と外国人という区別をよく使います。
私が数年前、地元の国際交流協会の役員をしていた時もこの表現を頻繁に使いました。

しかし、よく考えてみると、私たちはこの区別を容易に使っていることに気が付きます。

今、インターネットで“日本人 定義”とググルと、以下のような結果が出てきます。

Wikipeda:
主に日本人という語は、日本国の法律で「日本国民」と呼んでいる日本国に国籍を有する人々の呼称として用いられる場合と、日本列島に起源をもつ民族集団を指す場合に用いられている。

厚生労働省、人口動態調査での出生において:
両親または両親の一方が日本国籍のもの(ただし、嫡出でない子の場合は、母が日本国籍のもの)。

Yahoo 知恵袋の “ベストアンサー”に選ばれているもの
江戸っ子の定義と同じでいいのではないでしょうか。三代さかのぼって確固たる日本人。帰化人は日本人ではありません。日本の心が宿ってないですから。

など、なかなか簡単に定義できなさそうです。
上の、Yahoo知恵袋のベストアンサーに対しては、この答えの後半の部分には、怒る人や、悲しむ人がいるでしょう。日本人に帰化した、伊集院静さん、ドナルドキーンさん、小泉八雲などがこれを見たらどう思うでしょうか?

このYahoo知恵袋での質問は、こんな具合です。

ノーベル賞を取った南部氏はアメリカ国籍取得者で、 アメリカの報道では「American」、 でも日本のメディアは「日本人」といいます。
ラモスは日本国籍取得者ですが、 顔を見てもいわゆる「日本人顔」ではありません。
何をもって「日本人」というのでしょうか?
血統でしょうか?(日系ブラジル人の来日の論理)
それとも出生地?(アメリカなどの移民社会の論理)
はたまたアイデンティティ?

考えれば考えるほどこれは難しい問題であることがわかると思います。

実は、このような話を持ち出している私も、これまでのブログでも、いつも気にしつつ・迷いつつも“私たち日本人は・・・”といった表現を多くしてきました。
こうした表現で私が勝手に日本人と言ってきたのは、「少なくともさかのぼって2-3世代は日本人同士の夫婦の間に生まれ育てられた子」という漠然としたものでした。先のyahoo知恵袋のベストアンサーに近いものです。

皆さんはどのように思われるでしょうか?

例えば、リオ五輪で金メダルを取ったベイカー茉秋(マシュー)選手は父親がアメリカ人で母親が日本人であることは有名で、顔だちも俗にいうハーフっぽい印象です。
彼は日の丸を背負って戦ってくれました。私はとてもうれしく精一杯の声援を送りました。
皆さんも日本の選手として応援されたことと思います。

当時20歳の彼は、おそらく22歳までに国籍を選択することになります。そこで、日本かアメリカを選択することになるでしょう。
もし彼が日本を選択したら、彼は日本人でしょうか?
私は、前述の定義とは違ってしまいますが、日本人と思ってあげたいと思います。

こんな具合に、私の定義も極めてあやふや、いい加減なのです。

以前、スリランカ出身で、日本人の女性と結婚しお子さんを持ち、日本人に帰化し、大学准教授でもあり落語家でもある、ニシャンタさんという方のお話を聞いたことがあります。見かけはどう見ても日本人でないニシャンタさんや、そのお子さんのことを、周りの人は常に“外国人と呼ぶ”ことにとても悲しさを感じると言っておられました。
トランプ氏やイギリスなどのヨーロッパ諸国がナショナリズムを強くしても、長い目で見れば必ずグローバル化が進みます。これはエントロピー増加の法則(例えば、水に塩を入れると溶けて元には戻らない。といった、自然の流れとしては常に拡散する方向にすすむという法則)にも従った自然の流れです。
それに逆らうためには、ナチスがユダヤを強制収容所に集めたような、強硬な手段を取らなければなりません。まさに戦争です。
今後、こうした戦争といった破滅的な社会にならない限り、日本人も外国人も混じりあい、人種も国籍なども混じりあって、グローバル化は進むのです。

 

そうした、自然の流れの中でグローバル化が進展してゆく時に、この“日本人”という定義や表現の使い方を、気を付けて、意識して使ってゆかなければ、これから増えてゆくであろう、マシュー選手やニシャンタさん。そして、身近に出会う可能性が高まる、これまでの“単純に呼び分けていた日本人ではない人々”に対して、大変失礼なことになりかねません。

グローバル化への対応は、これまでこのブログでも何度も触れてきた、海外に出て外国語にも親しみ、世界で生き抜く力をつけることも大切ですが、こうした、日本国内での意識の持ち方を考えてゆくことも大切なことの一つなのでしょう。

(今回も2000文字を大きく超えてしまいましたゴメンなさい)

2017.02.10
大場規之