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大場代表
ISC留学net代表兼LHE取締役会長
大場 規之OBA, Noriyuki
毎月10日更新

リベラルアーツ

リベラルアーツという言葉を耳にされた方も増えてきていると思います。
この私のブログでも2011年に一度触れさせていただきましたが、当時はリベラルアーツという言葉が一般に使われることはほとんどありませんでした。

直訳すると、「自由の術」。という事になりますが、ここ数年、日本でもこの言葉が使われる頻度が高まるにつれて、いろいろな辞書等などでもわかりやすく参考になる記述が増えてきました。

良い例として、ウィキペディアの記述の変遷で知ることができます。
まずは、先に触れました様に、私がこのブログで初めて触れた2011年当初の内容です:

リベラル・アーツ(英: liberal arts)は、
今日では学士課程における人文科学、社会科学、自然科学を包括する専門分野 (disciplines) のことを意味する。 自由七科 (Seven Liberal Arts) ともいう。

ん~ん。
ちょっとわかりにくいですね。また、具体的なイメージをつかみにくいと思います。

それでは、今日の記述を見てみましょう。

リベラル・アーツ(英: liberal arts)とは、
ギリシャ・ローマ時代に理念的な源流を持ち、ヨーロッパの大学制度において中世以降、19世紀後半や20世紀まで、「人が持つ必要がある技芸(実践的な知識・学問)の基本」と見なされた自由七科のことである。具体的には文法学・修辞学(弁論・説得術などことばの学問)・論理学の3学、および算術・幾何(幾何学、図形の学問)・天文学・音楽の4科のこと。
現代では、「学士課程において、人文科学・社会科学・自然科学の基礎分野 (disciplines) を横断的に教育する科目群・教育プログラム」に与えられた名称である。具体的な教育内容に関しては「リベラル・アーツ・カレッジ」「教養学部」を参照のこと。
となっています。
だいぶ具体的になり、初めて耳にする方でも何となくイメージがつかみやすくなっていると思います。

2011年に私がこのブログでリベラルアーツに触れたきっかけは、日本の高校生の「文理選択」の問題について触れたからでした。http://iscnet.jp/archives/2068
これまでの日本の学生の多くが選択に迫られてきた“文理選択”。
また、日本の人の見方、評価の仕方としてごく普通に使われている“私は文系、あなたは理系”といった表現。
といった“文理”へのアプローチの仕方(人・考え・事を文系・理系という単純な区分で分けてしまう事)に問題があり、限界に来ているということについて、当時の私の想いをお伝えしたのです。
その後、同じような価値観を持った方々が、様々な具体的な動きをすることで、このリベラルアーツという言葉が一般に普及してきていること自体、とても嬉しく思っていますし、日本の大学でもリベラルアーツという呼称を使う例が増えてきているのは、日本の将来にとっても素晴らしい事だと思います。
前置きがずいぶん長くなりましたが、実は今日の本題はここからです(笑)。

なぜまた、今、リベラルアーツに触れたのかと言いますと、
これまで“文系”とされてきた事や人が、どうも力を発揮しにくい世の中になっていることに危機感を感じているからです。

AIや第4次産業革命に代表されるように、これからの仕事は、さらにデジタル化が進み、これまで“文系”の範疇と思われてきた部分にまでデジタル化が押し寄せます。また、よく言われる〇〇年後に無くなる仕事の多くに、文系とされてきた種類の仕事が含まれています。

更に、私が深刻な問題だと思っているのは、こうしたデジタルの波に代表されている技術とは、距離を置いたところや人に脈々と受け継がれている“経験や生きる上での知識や知恵”といった部分でのアナログな部分が、評価されにくい世の中になってきている事です。

そして、特に日本の場合、こうした“財産”とも言える経験や知識が、“文系”と言われる人や事の中に蓄えられていると思うのです。
“文系”とされてきた人や事が、評価されにくい世の中が続くと、日本が培ってきた人が受け継いできたそうした財産が発揮されにくいどころか、“文系”というジャンルの事や人と共に、他国よりも速いスピードで切り捨てられ、失ってしまう事にもなりかねません。
つまり、単純に分類されてきた“理系”と“文系”のうち、多数決の様に、“理系”が生き残り“文系”が切り捨てられるようなことになれば、これまで培ってきた知識や経験といった日本の財産を一気に失う事にもなりかねないという心配です。

もちろん、そんなことが一気に起こるわけではなく、そうならないように日本の社会が今後時間をかけながら補正されていくのでしょうから、私が一人で心配する事でもないわけですが、
そうした補正の方法の一つが、このリベラルアーツ的な考えの浸透だと思います。

日本でこれまで慣れ親しんできた“文系・理系といった単純な分類”をしないこのリベラルアーツ的な考えが浸透してゆくこと、更には、より高い年齢まで(大学まで)単純な理系と文系に分けられずに、幅広い学問を学んでゆくことが、単純な、文系と理系によって区分された人や事が、文系という区分に属するがゆえに簡単に切り捨てられることを防ぐことになり、日本が脈々と受け継いできた様々な文化や能力を、引継ぎ発展させてゆくことにつながる事を期待しています。

2018.7.10
大場規之